存在記号は分配できるか?

できます(かつ(\(\land\))に関して).なぜなら,

\[\forall x[p(x)\land q(x)]~\Longleftrightarrow \forall x p(x)\land \forall x q(x)\]であるから,この命題の待遇を考えると,

\[\lnot(\forall x[p(x)\land q(x)])~\Longleftrightarrow \lnot(\forall x p(x)\land \forall x q(x))\]

すなわち

\[\exists x[\lnot p(x)\lor \lnot q(x)]~\Longleftrightarrow \exists x \lnot p(x)\lor \exists x \lnot q(x)\]

となります.\(\lnot\)は否定を表す記号です.ですから,

\[\exists x[\overline{p(x)}\lor \overline{q(x)}]~\Longleftrightarrow \exists x \overline{ p(x)}\lor \exists x \overline{q(x)}\]

とも書けますね.見やすさのために\(\overline{p(x)}\)を\(p(x)\)に,\(\overline{q(x)}\)を\(q(x)\)に改めて書き換えれば,
\[\exists x[p(x) \lor q(x)]~\Longleftrightarrow \exists x p(x)\lor \exists x q(x)\]
となります.

注意:ただし,存在記号はかつ(\(\land\))に関しては分配できません!すなわち,\[\exists x[p(x) \land q(x)] \Longrightarrow \exists x p(x) \land \exists xq(x)\]であって,この逆は成り立ちません.これは具体例を考えれば分かりやすい.仮に全体集合をあるクラスだとして,\(p(x)\)を「\(x\)は勉強が得意」\(q(x)\)を「\(x\)はスポーツが得意」だとします.すると,\(\exists x[p(x) \land q(x)]\)は「勉強もスポーツも両方得意な生徒がいる」となり,\(\exists x p(x) \land \exists xq(x)\)は「勉強が得意な生徒がいて,かつ,スポーツが得意な生徒もいる」となります.\(\Longrightarrow\)が成り立つのは当たり前でしょう.\(\Longleftarrow\)について考えます.「(そのクラスに)勉強が得意な生徒がいて,スポーツが得意な生徒もいるのなら,勉強もスポーツも両方得意な生徒がいる」となりますが,これは正しいでしょうか.少し考えればわかるように明らかに正しくないですね.反例.仮定を満たすクラスとして,「勉強は超得意だけどスポーツはダメダメな秀才君がいて,スポーツは超得意だけど勉強はからっきしの脳筋君がいる.そしてクラスの他の生徒たちは勉強もスポーツもとくに得意とは言えない,いたってフツーの生徒,そんなクラスが例えば考えられます.このクラスには明らかに「勉強もスポーツも両方得意な生徒」はいることにはなりませんね.

任意記号は分配できるか?

\(p(x),~q(x)\)を条件とする.\(\forall\)は「任意記号(または全称記号)」と呼び,「任意の(Any),すべての(for All)」という意味です.Aをひっくり返して\(\forall\).このとき,

\[\forall x[p(x)\land q(x)]~\Longleftrightarrow \forall x p(x)\land \forall x q(x)\quad \cdots (\ast)\]

が成り立ちます.例えば,\(p(x)\)を「\(x\)は勉強が得意」という条件,\(q(x)\)を「\(x\)はスポーツが得意」という条件だとしましょう.このとき,\(\forall x[p(x)\land q(x)]\)は

\[\text{全員,勉強とスポーツ両方得意}\]

という意味になります.イメージし易さのため,\(x\in \text{(とあるクラス)}\)とすると,

\[\text{このクラスの全員が,勉強とスポーツ両方得意}\]

となります.いわば,スーパーマンみたいな奴だけで構成されたクラスですね,そんなクラスをイメージしてください.

他方,\(\forall x p(x)\land \forall x q(x)\)は\[\text{このクラスの全員が勉強が得意で,かつ,このクラスの全員がスポーツが得意}\]という意味になります.

これらの「翻訳」に従って,上の\((\ast)\)を記述し直してみると,

\begin{align*}
&\text{このクラスの全員が,勉強とスポーツ両方得意}\\
\Longleftrightarrow~&\text{このクラスの全員が勉強が得意で,かつ,このクラスの全員がスポーツが得意}
\end{align*}

ということになります.このようにイメージすると,\((\ast)\)の\(\Longleftarrow\)も\(\Longrightarrow\)もどちらも成り立つこと,すなわち同値であることが容易に納得できます.

注意:ただし,任意記号はまたは(\(\lor\))に関しては分配できません

条件同士を結ぶ「,」(カンマ)について

条件同士を「,」でつなげることがあります.これについて確認しておきます.
結論から言うと,条件同士を「,」で結ぶときは基本的には論理和,すなわち「かつ(\(\land\))」を意味します.

しかしながら「,」を他の意味で使うこともあるようです.

例えば2次方程式\(x^2-3x+2=0\)を解く際,

\[x^2-3x+2=0\]より\[(x-1)(x-2)=0\]したがって\[x=1,~2\]

と書くことと思います.ここに現れる「,」は明らかに「かつ」ではありませんね.

しかし論理式で記述すると,

\[
\begin{align*}
&x^2-3x+2=0\\
\Longleftrightarrow~&(x-1)(x-2)=0\\
\Longleftrightarrow~&x-1=0\lor x-2=0\\
\Longleftrightarrow~&x=1\lor x=2\\
\end{align*}
\]

であり,これをみると\(x=1\)と\(x=2\)は論理和つまり「または」で結ばれていることが分かります.

以前,某雑誌でこの「,」の使い方について触れていました.それによると(大学の)数学の先生によっては上の「,」はあくまで「かつ」とすべき派と,上の「,」は集合論で使う「,」だから全然OK派がいる・・・みたいなことを言っていた気がします(ごめんなさいうろ覚えです).僕個人としては条件と共に現れる「,」は「かつ」としておき,例えば上の二次方程式ならば\(x=1\)または\(x=2\)と書いた方がいいじゃん派です.

「存在する」の扱い

\[
\begin{align*}
\begin{cases}
x=a\\
x=b
\end{cases}
\end{align*}
\]

ここから短絡的に\(x\)を消去して\(a=b\)としても同値とはなりません.しかしもし,

\[
\begin{align*}
\begin{cases}
x=a\\
x=b
\end{cases}
\end{align*}\text{を満たす\(x\)が存在する}
\]

なら,\(a=b\)と同値であると言えます(\(x\)は文字通り消える).この二者の違いは,「存在する」という一言があるかないかです.この「存在する」について議論してみたいと思います.簡単のため,上を論理式で記述してみます.「\(x\)が存在する」は「\(\exists x\)」と書けますから(\(\exists\)はExistの頭文字をひっくり返したものです),

\[
\begin{align*}
\exists x
\begin{cases}
x=a\\
x=b
\end{cases}
\Longleftrightarrow~a=b
\end{align*}
\]

となります.一般に,条件を\(p(x)\)で表すことにすると,

\[
\begin{align*}
\exists x
\begin{cases}
p(x)\\
x=a
\end{cases}
\Longleftrightarrow~p(a)
\end{align*}
\]

が成り立ちます.

【証明】

(\(\Rightarrow\))仮定より,条件\(p(x)\)と\(x=a\)をみたす\(x\)が存在する.今,これを\(\alpha\)とおく.このとき,\[p(\alpha)\land \alpha=a\]すなわち\[p(a)\]が成り立つ.

(\(\Leftarrow\))仮定より,\(p(x)\)をみたす\(x\)が存在する.その\(x\)は\(a\)である.そしてこの\(a\)は方程式\(x=a\)を明らかにみたしている.ゆえに,\(p(x)\land x=a\)をみたす\(x\)が(\(a\)として)存在する.

(証明終)

これは様々な同値変形で用いるとても重要な考え方になります.
とくに連立方程式においては,「消去する」などといいつつも文字は消えるわけではないのですが,しかし「存在する」のであれば,消えてなくなります.この違いに注意しておきたいです.

連立方程式における中かっこの意味

連立方程式
\[
\begin{align*}
\begin{cases}
x+y=1\\
x-y=3
\end{cases}
\end{align*}
\]
に現れる中かっこ\(\{\)の意味について確認しておきます.結論から言うと,この中かっこは条件同士を「かつ」で結んでいることを意味しています.すなわち,
\[
\begin{align*}
&\begin{cases}
x+y=1\\
x-y=3
\end{cases}\\
\Longleftrightarrow~&x+y=1 \land x-y=3\\
\Longleftrightarrow~&x+y=1 \land x-y+(x+y)=3+1\\
\Longleftrightarrow~&x+y=1 \land 2x=4\\
\Longleftrightarrow~&x+y=1 \land x=2\\
\Longleftrightarrow~&2+y=1 \land x=2\\
\Longleftrightarrow~&x=2 \land y=-1\\
\end{align*}
\]
ということです.

2次方程式の共通解問題(その1)

\(2\)つの\(2\)次方程式\(x^2+kx+2=0,~2x^2+kx+1=0\)が共通解をもつように定数\(k\)の値を定めよ。

この問題の定石的解法は「共通解を\(\alpha\)とおいて代入して連立せよ」ですが,具体的には何をしているのか,論理式を用いてみてみます。

解答

\begin{align*}
&\exists x
\begin{cases}
x^2+kx+2=0\\
2x^2+kx+1=0
\end{cases}\\
\Longleftrightarrow~&\exists x
\begin{cases}
x^2+kx+2=0 \\
2x^2+kx+1-(x^2+kx+2)=0
\end{cases}&\cdots (1)\\
\Longleftrightarrow~&\exists x
\begin{cases}
x^2+kx+2=0\\
x^2-1=0
\end{cases}\\
\Longleftrightarrow~&\exists x
\begin{cases}
x^2+kx+2=0\\
x=-1 \lor x=1
\end{cases}&\cdots (2)\\
\Longleftrightarrow~&\exists x [x^2+kx+2=0 \land (x=-1 \lor x=1)]&\cdots (3)\\
\Longleftrightarrow~&\exists x [(x^2+kx+2=0 \land x=-1) \lor (x^2+kx+2=0 \land x=1)]&\cdots (4)\\
\Longleftrightarrow~&\exists x (x^2+kx+2=0 \land x=-1) \lor \exists x(x^2+kx+2=0 \land x=1)]&\cdots (5)\\
\Longleftrightarrow~& (-1)^2+k(-1)+2=0 \lor 1^2+k\cdot1+2=0 &\cdots (6)\\
\Longleftrightarrow~&k=3 \lor k=-3\\
\end{align*}

よって\(k=\pm 3\).

解答終

一般的な解答で感じられる一種の不安感は論理式で記述すれば払拭できると思います。
ただし,ここでは様々な同値変形\((1)\)~\((6)\)を用いています。それぞれの同値変形について,順を追ってみてみると

まず\((1)\)は連立方程式の解法は・・・「文字を減らす方針」?で紹介した同値変形です。

\((2)\)は,この記事でとりあげている同値変形です。

\((3)\)は,連立方程式における\(\{\)は「かつ(\(\land\))」を表すためです。

\((4)\)は,かつ(\(\land\)),または(\(\lor\))の分配法則によります。

\((5)\)は,存在記号がまたは(\(\lor\))に関して分配できることによります。

\((6)\)存在記号\(\exists\)があれば代入することで文字を消去することができます。

(関連:2次方程式の共通解問題(その2)

なぜイプシロン・デルタ(エヌ)論法が必要なのか

大学で微分積分学または解析学で最初にぶち当たる関門,\(\epsilon-\delta\)論法(\(\epsilon-N\)論法).まずこれが理解できず相当ゲンナリするひとは結構多いと思います.自分もそうでした.かつて理解するのに苦労した一学生としてひとことメモしておこうと思います.

理解の第一歩は,そもそもなぜそのような定義が必要なのか?を感じることだと思います.

高校の教科書では数列の極限を,

数列\(\{a_n\}\)において,\(n\)を限りなく大きくするとき,\(a_n\)がある値\(\alpha\)に限りなく近づくならば,\(\{a_n\}\)は\(\alpha\)に収束する,または\(\{a_n\}\)の極限は\(\alpha\)であるといい,\[\lim_{n\rightarrow \infty}a_{n}=\alpha\]と書く.

と定義しています.この定義に従えば,例えば数列\(\{1+\frac{1}{n}\}\)において,\(n\)を限りなく大きくするとき,\(1+\frac{1}{n}\)は\(1\)に限りなく近づいているので,\(\{1+\frac{1}{n}\}\)は\(1\)に収束すると言えて,\[\lim_{n\rightarrow \infty}\left(1+\frac{1}{n}\right)=1\]と書ける,ということになります.

一見なんの問題もないように見えますし,高校数学の問題を解く上では何の問題もありません.しかし,上の定義はよく考えてみるとかなり怪しい.

例えば,数列\(\{1+\frac{1}{n}\}\)において,\(n\)を限りなく大きくするとき,\(1+\frac{1}{n}\)は(\(1\)そのものにならない以上)\(0\)にだって限りなく近づいている,とも言えるわけで,ならば上の定義に従って\[\lim_{n\rightarrow \infty}\left(1+\frac{1}{n}\right)=0\]とも書ける,ということになります.例えるならば一関から仙台へ向かってる人は,仙台に到着しない限り,「東京へ向かっている」とも言えてしまう,ということです.

他にも,

\(\displaystyle \lim_{n\rightarrow \infty}a_n=\alpha,~\lim_{n\rightarrow \infty}b_n=\beta\)のとき,\[\lim_{n\rightarrow \infty}(a_n\pm b_n)=\alpha\pm\beta\]とか\[\lim_{n\rightarrow \infty}ka_n=k\lim_{n\rightarrow \infty}a_n\]とか\[\lim_{n\rightarrow \infty}a_nb_n=\alpha\beta,~\lim_{n\rightarrow \infty}\frac{a_n}{b_n}=\frac{\alpha}{\beta}\]さらに「はさみうちの原理」などを数学Ⅲの序盤に「極限の性質」として学びましたがいざこれらを証明するとなるとどうすればいいのでしょうか(「原理」と名前がついていますがこれは証明すべき定理です).

百歩譲ってこれらは「感覚的に明らか」と認めるにしても,例えば\(\displaystyle \lim_{n\rightarrow \infty}x_n=0\)のとき,\[\lim_{n\rightarrow \infty}\frac{x_1+x_2+x_3+\cdots+x_n}{n}=0\]はどうでしょう.これは感覚的に明らかでもないし,上の定義で証明しようとしても完全にお手上げです.

つまり上の高校教科書の定義は数学の定義としては不十分ということです.このような要請のもと,\(\epsilon-\delta\)論法(今は数列なので\(\epsilon-N\)論法)なる極限の新たな定義が必要になります.

連立方程式の解法は…「文字を減らす」方針?

正確には,こうです.

\[
\begin{cases}
f(x,~y)=0\\
g(x,~y)=0
\end{cases}
\Longleftrightarrow
\begin{cases}
f(x,~y)=0\\
g(x,~y)+kf(x,~y)=0
\end{cases}
\]

だから簡単な例でいうと,

\[\begin{align*}
&\begin{cases}
x+y=1\\
2x+3y=3
\end{cases}\\
\Longleftrightarrow
&\begin{cases}
x+y-1=0\\
(2x+3y-3)-2(x+y-1)=0
\end{cases}\\
\Longleftrightarrow
&\begin{cases}
x+y-1=0\\
y+2=0
\end{cases}\\
\Longleftrightarrow
&\begin{cases}
x+y-1=0\\
y=-2
\end{cases}\\
\Longleftrightarrow
&\begin{cases}
x=3\\
y=-2
\end{cases}\\
\end{align*}
\]

連立方程式を解く,という作業も結局,同値変形しているに過ぎないので「文字を減らす」というよく言われる表現は個人的に違和感があります.文字(というか式?)は別に減ってないので・・・.単純な連立方程式であれば,このへんうるさく言わなくても全然平気なんだけどごつい連立方程式だと同値性を意識しないとうまく解けなかったり汚い記述になったりする気がします(数検1級一次試験で一時期流行ってました).とくに\((\ast)\)の同値性は\(f(x,~y)=0\)を表記しないと同値性が崩れること,すなわち

\[\begin{cases}
f(x,~y)=0\\
g(x,~y)=0
\end{cases}
\Longrightarrow
g(x,~y)+kf(x,~y)=0
\]

であることに注意しましょう.

論理記号を使いこなせると明解に記述できるし思考しやすいので個人的には大好きなのですが準備と慣れを必要とするので難しい。この辺の論理学を学習してから数学を学べたらかなり強いと思うのだけど…そういった側面から教材を作れないものか思案中です.

★条件付き期待値2

\(E(Y|X\geq0)=E(E(Y|X\geq0))\)

証明?
\begin{align*}
E(E(Y|X\geq0))&=\int_{0}^{\infty}E(Y|X=x)f_{X|X\geq0}(x)dx\\
&=\int_{0}^{\infty}\left(\int_{-\infty}^{\infty}yf_{Y|X\geq0}(y|x)dy\right)f_{X|X\geq0}(x)dx\\
&=\int_{0}^{\infty}\left(\int_{-\infty}^{\infty}y\frac{f_{X|X\geq0,Y}(x,y)}{f_{X|X\geq0}(x)}dy\right)f_{X|X\geq0}(x)dx\\
&=\int_{0}^{\infty}\int_{-\infty}^{\infty}yf_{X|X\geq0,Y}(x,y)dydx\\
&=\int_{-\infty}^{\infty}ydy\int_{0}^{\infty}f_{X|X\geq0,Y}(x,y)dx\\
&=\int_{-\infty}^{\infty}yf_{Y|X\geq0}(y|x)dy=E(Y|X\geq0)\\
\end{align*}

出典:統計数理,2015年,大問5(6)

不安な点:

  • \(f_{X|X\geq0}(x)\)や\(f_{Y|X\geq0}(y|x)\)や\(f_{X|X\geq0,Y}(x,y)\)という記法とその解釈は正しい?
  • \(X|X\geq0\)は\(X\geq0\)という表示ではダメ?(上の証明では混在させている)

★条件付き期待値

\(E(Y)=E(E(Y|X))\)

証明
\begin{align*}
E(E(Y|X))&=\int_{-\infty}^{\infty}E(Y|X=x)f_{X}(x)dx\\
&=\int_{-\infty}^{\infty}\left(\int_{-\infty}^{\infty}yf_{Y|X}(y|x)dy\right)f_{X}(x)dx\\
&=\int_{-\infty}^{\infty}\left(\int_{-\infty}^{\infty}y\frac{f_{X,Y}(x,y)}{f_X(x)}dy\right)f_{X}(x)dx\\
&=\int_{-\infty}^{\infty}\int_{-\infty}^{\infty}yf_{X,Y}(x,y)dydx\\
&=\int_{-\infty}^{\infty}ydy\int_{-\infty}^{\infty}f_{X,Y}(x,y)dx\\
&=\int_{-\infty}^{\infty}yf_Y(y)dy=E(Y)\\
\end{align*}

気を付けたいこと:
\(E(Y|X)\)自体が(条件付き期待値の定義より)確率変数\(X\)の関数で,確率変数.

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