高校生の声でよく聞くのが「中学では数学が得意だったのに高校では全然できなくなった」という声です.なぜ,このようなことが起きるのでしょうか.ちょっと考えてみたいと思います.
ところで,「数学が得意」「数学ができる」とは,具体的にどういう力を指すのでしょうか.ここで数学の力について考えてみましょう.
「数学とは何か」というのはまさに深遠なテーマで,正直なところ僕ごときに語れる話ではありません.だけど,高校数学・受験数学という立場からは確証的に言えます.僕は以下の二つの力だと思っています.
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- 演繹的に考える力
- 未知のもの,数値,条件を結び付ける力
1.について.「演繹」という言葉は聞きなれない言葉だと思います.「演繹的に考える」とは,簡単に言うと「理由付けしながら考察する」ということです.
これと対の考え方として「帰納」という言葉があります.これは簡単にいうと「具体例から予測する」という考え方です.
例えばこんな例を考えて貰えばわかりやすいと思います.ある学校の次回の数学のテスト内容についてA君とB君が話合っています.その内容は,次のテストで「問題\(\beta\)が出題されるか否か」という話題です.
A君はこう主張しました:
「先輩からもらった過去問10年分によると,10年連続で問題\(\beta\)は出題されている.だから今年も問題\(\beta\)が出るはずだ」
一方,B君はこう主張しました:
「範囲内の問題は全部で問題\(\alpha\)と問題\(\beta\)と問題\(\gamma\)から構成されている.しかし以前先生は「この範囲から問題\(\alpha\)と問題\(\gamma\)は出題しない」と言っていた.ということは,問題\(\beta\)が出題されるはずだ」
結論は両社同じく「問題\(\beta\)が出題される」ですが,その結論に至る過程が異なります.前者が帰納的な考え方で,後者が演繹的な考え方です.
2.について.問題(数値決定問題)は,必ず,求めるべき「未知のもの」,与えられた「数値」,そして「条件」で構成されています.
これらを数式,日本語,絵,表を用いて適切な言い換えを行い状況を正しく把握・理解し,そして整理して結びつける,という作業により問題は解決します(解けます).
さて,中学数学においてこの1.と2.に対応する分野はなんでしょうか.それは「証明問題」「文章問題」です.この分野で得られる力こそが,(とりあえず高校数学的立場から見た)「数学の力」と言っていいでしょう.
しかしながら,この分野は中学数学分野における小さな領域でしかありません.大部分をしめるのは機械的な「計算問題」です.「計算問題」が正確に出来さえすれば,ある程度の高得点が取れてしまう,ということです.ここに,生徒の「誤解」が生まれます.
つまり,冒頭で話した「数学が得意な」中学生とは,実は数学ではなく「計算が」得意なだけであった,ということで,ちょっと厳しめの言い方をすると「自分が数学が得意だと思い込んでいただけで,そもそも数学が得意ではなかった」ということです.このように考えれば「高校で数学ができなくなった,苦手になった」というのは当然の帰結であると言えます.
もちろん,「計算が正確に出来る」というのは数学を学ぶ上で超重要なスキルです.これが出来なければ数学はできない文字通りの基礎力ですし,ここをしっかり押さえた努力は褒めて然るべきです.しかし残念ながら,\[\text{数学ができる人}\Longrightarrow\text{計算が出来る人}\]は言えますが,\[\text{計算が出来る人}\Longrightarrow\text{数学が出来る人}\]は必ずしも言えません.
以上により,中学~高校と,数学の学習を連続的な視点でとらえた場合,中学数学を学ぶ際の「力点の置き方」が重要になることが分かります.こういった姿勢を早い段階で得ておくことが,高校へのスムーズな接続,ひいては将来的な第一志望大学合格へ繋がるものと当塾では考えております.