中学数学

生徒(中学生)の考査で,論理的にはあっているのに0点にされている証明があった。…何でこれバツにされたの??と聞くと「(証明自体はあっていても冒頭に)『\(\triangle{ABC}\)と\(\triangle{DEF}\)において』の一言がないから」とのこと…

「\(\triangle{ABC}\)と\(\triangle{DEF}\)において」という一言は「これから私はこの二つの三角形に着目しますよ」という記述する側が読み手の読み易さのために入れるいわば「気遣い」の一言に過ぎず,論理そのものには関わる部分ではないから,証明の記述としてはあってもなくてもいい(「\(\triangle{ABC}\)と\(\triangle{DEF}\)において(\(\triangle{ABC}\)と\(\triangle{DEF}\)に着目している)」という文は\(\triangle{ABC}\equiv\triangle{DEF}\)という結論を示すための仮定そのものではない)と僕は理解しているが,違うのだろうか??

もしかしたら幾何学の世界では証明の冒頭に「\(\triangle{ABC}\)と\(\triangle{DEF}\)において」と書かなくてならないという「型」みたいなものがあるのかな?と思い(んなもんあるわけない)手元の初等幾何の本を見てみた。

定理

\(1^{\circ})\) 平行四辺形の対辺は等しい.
\(2^{\circ})\) 平行四辺形の対角は等しい.

証明

右の図の四角形\(ABCD\)において\[AB\parallel DC,~AD\parallel BC\]とします.平行な二直線が第三の直線と交わってなす錯角は等しいから(63ページ,定理4.2),\[\angle{ABD}=\angle{CDB},~\angle{ADB}=\angle{CBD}\]となります.ゆえに,一辺両端角の合同定理(42ページ,定理3.2)により,\[\triangle{ABD}\equiv \triangle{CDB}\]ゆえに\[AB=CD,~AD=CB,~\angle{A}=\angle{C}\]

(証明終)

小平邦彦.幾何への誘い.岩波書店,2015

 
\(\triangle{ABD}\equiv \triangle{CDB}\)を示すにあたり「\(\triangle{ABD}\)と\(\triangle{CDB}\)において」なんてひとことは出てきてない。小平先生のこの証明も中学校の先生によれば0点なんだろうか。

他にも三角形がが合同であることを示すにあたり,辺の長さが等しい,ということを明示するのに\(AE=AD\)が正解で\(AE=DA\)と書くと減点対象だったりと,なんかよく分からん世界です。

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