難しさの原因

松坂和夫先生の線型代数に,次のような命題があった.

\(V\)をベクトル空間とするとき,

実数\(c\)と\(V\)の元\(\boldsymbol{v}\)に対して,もし\(c\boldsymbol{v}=0\)が成り立つならば,\(c=0\)または\(\boldsymbol{v}=0\)

で,その証明の冒頭が,次のようなものだった.

\(c\boldsymbol{v}=0,c\neq 0\)とする.そのとき\(v=0\)であることを証明すればよい.

線型代数は理工系学部1年生,つまりほぼ高校生が学ぶ科目なので,ここで「?」となる人は少なくないと思う.

ここを論理式で記述してみます.「\(c\boldsymbol{v}=0\)が成り立つならば,\(c=0\)または\(\boldsymbol{v}=0\)」という日本語は,
\[c\boldsymbol{v}=0 \Longrightarrow c=0 \lor \boldsymbol{v}=0\]ということですから,これを同値変形してみます.
\begin{align}
&c\boldsymbol{v}=0 \Longrightarrow c=0 \lor \boldsymbol{v}=0\\
\Longleftrightarrow~ &\overline{c\boldsymbol{v}=0} \lor ( c=0 \lor \boldsymbol{v}=0 )&\qquad\text{(\(\Rightarrow\)の定義)}\\
\Longleftrightarrow~ &(\overline{c\boldsymbol{v}=0} \lor c=0 ) \lor \boldsymbol{v}=0 &\qquad\text{(結合法則)}\\
\Longleftrightarrow~ &(\overline{c\boldsymbol{v}=0 \land c\neq 0} ) \lor \boldsymbol{v}=0 &\qquad\text{(ドモルガンの法則)}\\
\Longleftrightarrow~ &c\boldsymbol{v}=0 \land c\neq 0 \Longrightarrow \boldsymbol{v}=0 &\qquad\text{(\(\Rightarrow\)の定義)}\\
\end{align}

となり納得できます.こうしてみるとやはり論理学あっての数学だなと改めて感じます.しかしこういった話題は数学系ならば大学初年度で扱うにもかかわらず高校段階では論理学を学ぶ機会はほとんどありません.理工系学部,とくに数学系志望者のために高校のカリキュラムにも論理学をもう少しまともに取り入れるべきではないでしょうか?公式の使い方だの数式処理の仕方に終始することももちろん大事ではありますが….「大学へ行って数学が分からなくなった」という学生(かつての自分含め)を量産する責任の一端は高校の授業・高校のカリキュラムにもある気がします.

★解析学演習(デデキントの公理\(\Leftarrow\)上に(下に)有界なら上界(下界)の最小数(最大数)が存在)

集合が上に有界であることから,デデキントの公理を導け.

\((A,~B)\)という切断を考える.仮定より\(A\)は上に有界だから上限\(\sup A=\alpha\)が存在する.この\(\alpha\)が,\(A,~B\)のどちらに属するかを場合分けして考える.

\((\mathrm{I})~\)\(\alpha \in A\)のとき.\(\alpha = \max{A}\)である.

\((\mathrm{I\hspace{-.1em}I})~\)\(\alpha \in B\)のとき.
まず,\(\alpha\)は\(A\)の上限であるから\[\forall \alpha’ <\alpha \exists x \in A \big[\alpha’ < x\big]\]が成り立つ.この任意の\(\alpha'(<\alpha)\)に応じて定まる\(x(\in A)\)を\(x_{\alpha’}\)とおくことにする.すると\(\alpha\)より小さい任意の\(\alpha’\)に対して\[\alpha’ < x_{\alpha’}\in A\]と書けることになる.ここで,切断の意味(\(A\)の元はすべて\(B\)のどの元よりも小さい)を考えると,\(x_{\alpha’}\in A\)は\(B\)のどの元よりも小さい.そんな\(x_{\alpha’}\)よりも小さい\(\alpha’\)も当然\(B\)のどの元よりも小さい.つまり\(\alpha’ \in A\)すなわち\(\alpha’ \notin B\)となる.\(\alpha’\)は\(\alpha\)より小さい任意の数であったことを思い出すと結局\[\forall \alpha’ < \alpha \big[\alpha’ \notin B\big]\]と書ける.これと最初の場合分け:\(\alpha \in B\)を合わせて考える.\(\alpha\)より小さい数,\(\alpha\),\(\alpha\)より大きい数,このうち「\(\alpha\)より小さい数」が\(B\)に属さず,\(\alpha\)が\(B\)に属しているから,\(\alpha\)が\(B\)の最小数となる.この二つの場合分けにより,切断\(A,~B\)において,「\(A\)に最大数がある」か「\(B\)に最小数がある」かのどちらかが起こることがわかる(デデキントの切断).

センター試験お疲れ様でした

受験生の皆さんセンター試験お疲れ様でした.
うまくいった人,失敗した人,様々だと思います.

うまくいった人へ.おめでとうございます.引き続き2次試験に向けて頑張ってください.油断せずにね.

失敗した人へ.

相当落ち込んでいると思います.自責の念にも駆られて苦しいと思います.もしかしたら出願校の変更も考えているかもしれません.

センター試験はアプローチすべき解法が出題者によって予め定められており,それをなぞる形で解答していく.しかもかなりシビアな時間設定.これは,出題者の意図が読み取れない場合はかなりの苦戦を強いられることを意味します.こういった形式が得意な人がいる一方で,人に指示されるのが嫌いなタイプの人や,自分で考え自分の解法でじっくり思考し自由に解きたいタイプの人にとっては相当ストレスフルな出題形式でしょう.なので,こういうスタイルでうまく得点できずともそれは単に適性・相性の問題なだけかも知れません.実際,センター試験でうまく得点できずとも数学力の高い人間は存在します.今回準備を重ねてきたにも関わらず得点できなかった人,あなたはきっとこのタイプです.大丈夫,ちゃんと実力はあります.自信をもって2次試験,併願校受験に向けて粛々と勉強を続けましょう.

失敗も大事な経験です.

これは慰めのための綺麗事ではありません.こんな言葉があります.

An expert is a person who has found out by his own painful experience all the mistakes that one can make in a very narrow field.

Niels Bohr – wikiquote


「非常に狭い範囲において,経験しうるすべての間違いを経験した者を『専門家』と呼ぶ.」

ノーベル賞物理学者ボーアの言葉です.ほんとうにいい言葉ですね.

幸運を祈ります.

塾の場所について

ピアノ教室の看板がありますが以前姉が開いていた教室です(現在は田中前に引っ越しました!).今は数学塾です!

気仙沼市の松崎柳沢にあります.気仙沼バイパス沿いのケーズデンキから松岩中学校方面に向かって行った近くにあります.住宅街なので,ちょっとわかりにくいのですが・・・^^;

松岩地区,面瀬地区,ももちろん,田中前地区からも通いやすいと思います.無料の体験授業を随時受け付けておりますので,ご希望の際はお電話かまたはお問い合わせページからご連絡下さい^^

教室風景です.・・・ホワイトボードの謎の落書きは甥っ子たちが書き残していったものです^^;  ホワイトボードは増設予定!

「定義にしたがう」ということ

数学は,論理によって演繹的に記述される学問です.したがって,何かしら判断を下したいときは,以前の取り決め;定義(やその取り決めから得られた他の結論;定理)を思い出し,それらから淡々と判断を下していけばいいだけのことです.この一連の流れを「定義に従って・・・」とよく言われます.

例えるならば,スポーツで判定に迷う際どいプレーがあったとします.その際,下すべき判定は何に依るでしょうか.過去の判例でしょうか.選手や観客の投票でしょうか.その場の雰囲気でしょうか.いいえ,単純に「ルール」でしょう.それと同じです.

この「定義にしたがって判断する」という姿勢は数学を学ぶ上では「当たり前」なのですが,中学生だけでなく高校生もこれを意識している人は少ない気がします.

【例1】
教科書の「集合」において,\[A=B\text{が成り立つことは,} A\subset{B} \text{かつ}B\subset{A}\text{が成り立つことと同じである.}\]と書いてありますが,もしこれを証明せよ,と言われたらどうしますか.ほとんどの高校生は何をすべきか途方に暮れるのではないでしょうか.こんなとき考えるべきことは,\(A=B\)と\(A\subset{B}\)の定義に戻ることです;\(A=B\)は,\[\forall x [x\in{A}\Longleftrightarrow x\in{B}]\]と定義されています.他方,\(A\subset{B}\)と\(B\subset{A}\)はそれぞれ,\[\forall x [x\in{A}\Longrightarrow x\in{B}],~\forall x [x\in{B}\Longrightarrow x\in{A}]\]と定義されています.したがって,\(A\subset{B}\land B\subset{A}\)とは,\[\forall x [x\in{A}\Longrightarrow x\in{B}]\land\forall x [x\in{B}\Longrightarrow x\in{A}]\]ということですから結局\[\forall x [x\in{A}\Longleftrightarrow x\in{B}]\]となって上で示した\(A=B\)の定義と一致します.

【例2】
「マイナス\(\times\)マイナスはプラスになる」ことをどうやって説明(証明)しますか.ここで,中学で習うような「後ろ向いて後ろを向くと前を向くから」とか「否定文の否定は肯定文になるでしょ」とかいった説明は,説明のようで説明になっていない,いわば「誤魔化し」です(現実世界の現象が数学の世界の判断根拠にはならない!).これも,「定義にしたがって」淡々と証明すればいいだけです.まず,\(0\)と負数の定義を確認しましょう.\(0\)は,\[\forall x\in\mathbb{R} [x+a=a+x=a]\]を満たす数\(a\)として定義されました.この\(a\)を\(0\)と書くことにします.次に,この\(0\)に対して,\[\forall x\in\mathbb{R} [x+a=a+x=0]\]を満たす数\(a\)を,\(-x\)と書くと定義されています.つまり\[\forall x\in\mathbb{R}[x+(-x)=(-x)+x=0]\]この定義において,\(x\)は任意ですから,\(-x\)を代入することにします.すると,\[-x+(-(-x))=0\]が得られます.両辺に\(x\)を加えることで\[-(-x)=x\]が得られます.

【例3】
\[\int_a^bf(x)dx=-\int_b^af(x)dx\]はどうやって理解すればいいでしょう.これもやはり,定義にしたがえばいいだけです;まず,(高校教科書における)定積分の定義を思い出しましょう.それは,\[\int_a^bf(x)dx=F(b)-F(a)\]でした.したがって,
\[
\begin{align*}
\text{左辺}&=\int_a^bf(x)dx\\
&=F(b)-F(a)\\
&=-(F(a)-F(b))\\
&=-\int_b^af(x)dx=\text{右辺}
\end{align*}
\]

となってあっさり終わります.ちなみに,定積分は「リーマン和の極限」と定義した方が直観的理解のためにも望ましいと個人的には思います.よくある「定積分は足し算だから云々」という説明は,この定義を意識した説明だと思いますが,しかし定積分を「原始関数の差」と定義した以上,上記のように説明するのが論理的です.

・・・このように,「判断に困ったらとりあえず定義に戻る」という姿勢は数学ではとても大事です.「問題が解ければいい」「点数さえ取れればいい」といった姿勢ではこういった視点はまず身につかないと思います.だけれども,こういった演繹的な考え方を身に付けることこそ数学を学ぶひとつの意義だと思うし,また,ハイレベルな問題を解けるようには,こういった思考を日常的に行うことが一見遠回りのように見えても結果的な近道であるような気がします.

気仙沼の塾として

塾の役割とはなんでしょうか.

学問レベルって,

・・・→①中学教科書レベル→②高校受験レベル→③高校教科書レベル→④(下位)大学受験レベル→➄(中位)大学受験レベル→⑥(上位)大学受験レベル→➆大学教養レベル→⑧大学専門レベル→・・・

という過程を踏むと思います.塾のあるべき役割とは,やはり②高校受験レベル,④~⑥大学受験レベルに特化することだと思います.さらに,現在「高大接続」への取組みが叫ばれているように(文部科学省「高大接続改革」),➆大学教養レベルを見据えた➄,⑥を指導できるかどうかがこれからは重要になってくるのではないでしょうか.気仙沼の私塾だとちょうどこの➄~➆のステージが手薄になっているような気がします.ここのニーズに答えられるような塾でありたいと思っています.

また,当然ながら上のレベルに特化している塾であれば,その下のレベルの指導内容は必然的に万全なものとなります.例えば中学生なら,高校数学教師に高校数学を見据えた数学を教わることはとても大きなアドバンテージになるはずです.

このように考えれば,塾という存在は生徒を指導するだけでなく,教える側自身が常に学問的にレベルアップを図っていかねばならないと改めて思います.

先生であるために

教える側こそ,生徒以上に勉強しなければならない.指導する側が生徒以上の学びを「現在進行形で」行ってはじめて指導者は指導者たり得る.これが僕の信条です.昨年,数学検定1級を取得したひとつの理由がこれでした.

生徒にとっての「先生」であり続けるために,次の数学の目標を設定したいと思います.数学検定1級の上があればそれを目指すんだけど,現在,数学検定は1級が最高級(でも昔は「段位」まであったらしい・・・!).数学書の読破,でもいいけどその習熟具合を客観的に測るものがないので,目標としてはちょっと弱い(趣味・教養の色合いがどうしても強くなってしまう).そこで,数学関係の資格を調べると「統計検定」なるものがあります.今度はこの「統計検定」にチャレンジしてみようと思う.これは2級から大学教養レベルで,1級は完全に大学専門レベルになるようだ.まさにチャレンジしがいがある.大学時代学びそこなった(=ついていけなかった笑)数理統計学にリベンジしたいという思いもある.

このような検定などを通した学びの目的は,「スキルアップ」「自己実現」だけではない.試験とその対策という実体験を通して生徒の気持ちが痛いほどよくわかるようになるという強烈な副産物がある.未知の概念や記号に圧倒される恐怖感,理解しきれず前へ進めないときの絶望感と孤独感,成長が感じられないとき試験に落ちたときの虚無感.他方,新たな知識と理解を得たときの達成感や有能感,手を動かし練習に明け暮れたあとの心地よい疲労感,そして合格したときの喜び.

教える側として「生徒の気持ちを知る」とは,こういうことだと思う.

生徒の見本となるよう,統計検定1級を取得しようと思います!

佐々木数学塾について。

地元気仙沼で数学塾を開校することになりました。これまで自分が学び,経験してきたことを地元の子供たちに伝えることができればと思います。数学ができるって,一言で言えば,かっこいい。その「かっこよさ」を伝えたい。というか,生徒と共有したい。成績や受験も大事だけど,数学特有のスマートさを感じて欲しい。まず最初にそんな思いがある。もちろん,それは「かっこいい」という自己満足だけじゃない。「かっこいい」数学というのは,結果的に,成績や受験に直結する。だって,「かっこよさ」こそがほんとうの「数学」なんだから。

一緒に数学を学びましょう!

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