\(0=1\)の証明?

youtubeのおもしろ動画。これを不思議と思うか,あるいは一目でツッコミを入れられるかどうか,論理の勉強になる動画だと思います。

(\(0=1\)の証明?)

\begin{align}
-20 &=-20 \tag{1}\\
16-36 &= 25-45 \tag{2}\\
4^2-4\cdot 9 &= 5^2 – 5\cdot 9 \tag{3}\\
4^2-4\cdot 9 + \frac{81}{4} &= 5^2 – 5\cdot 9 + \frac{81}{4} \tag{4}\\
4^2-2 \cdot 4\cdot \frac{9}{2} + \left(\frac{9}{2}\right)^2 &= 5^2 – 2 \cdot 5\cdot \frac{9}{2} + \left(\frac{9}{2}\right)^2 \tag{5}\\
\left(4 – \frac{9}{2}\right)^2&= \left(5 – \frac{9}{2} \right)^2 \tag{6}\\
4 – \frac{9}{2}&= 5 – \frac{9}{2} \tag{7}\\
4 &= 5 \tag{8}\\
4 -4 &= 5 – 4 \tag{9}\\
0 &= 1 \tag{10}
\end{align}私たちは一般に計算問題が与えられば式を次々と改行・羅列して「答え」を求め,とにもかくにも「答え」さえ手に入れば,とくに疑問も抱くことなくそれを解答欄に書いてさっさと次の問題に進みがちです。しかし,細かいことをいえば本来はその各行の式と式の間には論理的にどういう関係があるのか,まで考える必要があります:
たとえば,\(-20 =-20\)と\(16-36 = 25-45 \)の間にはどんな関係があるでしょうか。\(16-36=-20\)そして\(25-45=-20\)という等式が成り立ちますから,\(-20 =-20 \)という仮定から\(16-36 = 25-45 \)が導けます。すなわち,\[-20 =-20 \Longrightarrow 16-36 = 25-45\]逆に,\(16-36 = 25-45 \)という仮定から\(-20 =-20 \)も確かに導けます。\[-20 =-20 \Longleftarrow 16-36 = 25-45\]この二つをあわせて,\[-20 =-20 \Longleftrightarrow 16-36 = 25-45\]と書きます。

式\((1)\)と式\((2)\)はいわば互いに‘行き来’できる関係(これを以後「同値」と呼ぶことにします)がありましたが,一般には必ずしもこのような関係が成り立つとは限りません(感覚的にたとえると「犬ならば哺乳類」ですが「哺乳類ならば犬」とは限りません)。この点に注意して,各行における「式と式の論理関係」を同様に調べていくと\((1)\)から\((6)\)までの式,また\((7)\)から\((10)\)までの式が互いに同値であることは一目でわかります。怪しいのは\((6)\)式と\((7)\)式の間の論理関係です。見た目がうるさいので,ここでは\(4 – \frac{9}{2} = a\),\(5 – \frac{9}{2} = b\)とおいて考えることにします。

\(a^2=b^2 \Leftarrow a=b\)は言えるか?
これは明らかに言えます。仮定\(a=b\)の両辺を\(2\)乗すればいいだけですから。

\(a^2=b^2 \Rightarrow a=b\)は言えるか?
これはいけない。なぜなら,\(a^2=b^2\)という仮定からは,\(a=b\)だけでなく,\(a=-b\)という可能性も考えられますから。実際,
\begin{align*}
&a^2=b^2\\
\Longrightarrow~&a^2-b^2=0\\
\Longrightarrow~&(a-b)(a+b)=0\\
\Longrightarrow~&a-b=0\text{または}a+b=0\\
\Longrightarrow~&a=b\text{または}a=-b
\end{align*}(※逆も成り立つ)

以下,正しい論理(式)を書いてみます(または,を\(\lor\)と書くことにします)。
\begin{align}
&-20 =-20 \\
\Longleftrightarrow &~16-36 = 25-45 \\
\Longleftrightarrow &~4^2-4\cdot 9 = 5^2 – 5\cdot 9 \\
\Longleftrightarrow &~4^2-4\cdot 9 + \frac{81}{4} = 5^2 – 5\cdot 9 + \frac{81}{4} \\
\Longleftrightarrow &~4^2-2 \cdot 4\cdot \frac{9}{2} + \left(\frac{9}{2}\right)^2 = 5^2 – 2 \cdot 5\cdot \frac{9}{2} + \left(\frac{9}{2}\right)^2 \\
\Longleftrightarrow &~\left(4 – \frac{9}{2}\right)^2= \left(5 – \frac{9}{2} \right)^2 \\
\Longleftrightarrow &~4 – \frac{9}{2}= 5 – \frac{9}{2} \lor 4 – \frac{9}{2}= – \left( 5 – \frac{9}{2}\right)\\
\Longleftrightarrow &~4 = 5 \lor 9 = 9 \\
\Longleftrightarrow &~9 = 9\\
\end{align}結局,\((1)\)から\((5)\)はいわば‘目くらまし’で,\(-20=-20\)という面白みのない仮定から,\(9=9\)というやはり面白みのない結論が得れらた,ということに過ぎない,ということでした。

連立方程式における中かっこの意味

連立方程式
\[
\begin{align*}
\begin{cases}
x+y=1\\
x-y=3
\end{cases}
\end{align*}
\]
に現れる中かっこ\(\{\)の意味について確認しておきます.結論から言うと,この中かっこは条件同士を「かつ」で結んでいることを意味しています.すなわち,
\[
\begin{align*}
&\begin{cases}
x+y=1\\
x-y=3
\end{cases}\\
\Longleftrightarrow~&x+y=1 \land x-y=3\\
\Longleftrightarrow~&x+y=1 \land x-y+(x+y)=3+1\\
\Longleftrightarrow~&x+y=1 \land 2x=4\\
\Longleftrightarrow~&x+y=1 \land x=2\\
\Longleftrightarrow~&2+y=1 \land x=2\\
\Longleftrightarrow~&x=2 \land y=-1\\
\end{align*}
\]
ということです.

連立方程式の解法は…「文字を減らす」方針?

正確には,こうです.

\[
\begin{cases}
f(x,~y)=0\\
g(x,~y)=0
\end{cases}
\Longleftrightarrow
\begin{cases}
f(x,~y)=0\\
g(x,~y)+kf(x,~y)=0
\end{cases}
\]

だから簡単な例でいうと,

\[\begin{align*}
&\begin{cases}
x+y=1\\
2x+3y=3
\end{cases}\\
\Longleftrightarrow
&\begin{cases}
x+y-1=0\\
(2x+3y-3)-2(x+y-1)=0
\end{cases}\\
\Longleftrightarrow
&\begin{cases}
x+y-1=0\\
y+2=0
\end{cases}\\
\Longleftrightarrow
&\begin{cases}
x+y-1=0\\
y=-2
\end{cases}\\
\Longleftrightarrow
&\begin{cases}
x=3\\
y=-2
\end{cases}\\
\end{align*}
\]

連立方程式を解く,という作業も結局,同値変形しているに過ぎないので「文字を減らす」というよく言われる表現は個人的に違和感があります.文字(というか式?)は別に減ってないので・・・.単純な連立方程式であれば,このへんうるさく言わなくても全然平気なんだけどごつい連立方程式だと同値性を意識しないとうまく解けなかったり汚い記述になったりする気がします(数検1級一次試験で一時期流行ってました).とくに\((\ast)\)の同値性は\(f(x,~y)=0\)を表記しないと同値性が崩れること,すなわち

\[\begin{cases}
f(x,~y)=0\\
g(x,~y)=0
\end{cases}
\Longrightarrow
g(x,~y)+kf(x,~y)=0
\]

であることに注意しましょう.

論理記号を使いこなせると明解に記述できるし思考しやすいので個人的には大好きなのですが準備と慣れを必要とするので難しい。この辺の論理学を学習してから数学を学べたらかなり強いと思うのだけど…そういった側面から教材を作れないものか思案中です.

ルート計算

中学で学ぶルート計算について一言.

例えばこんな計算をしなければならないとしましょう.\[\sqrt{27\times 45}\]ルート計算を学び始めだと,このように計算すると思います.まず\(27\times 45\)を「ひっ算で」計算して,\[\sqrt{27\times 45}=\sqrt{1215}\]次に\(1215\)をまた「ひっ算で」素因数分解して,\[\sqrt{3\times3\times3\times3\times3\times5}\]よって,\[3\times3\sqrt{15}=9\sqrt{15}\]となります.さて,ここで行った計算を振り返ってみましょう.\[\text{ルートの中身を計算}\rightarrow\text{素因数分解}\rightarrow\text{2人いる因数を外に出す}\]つまり差し当たっての目標は\[\text{2人いる因数を探すこと}\]です.これが目的です.であるならば,最初からこれを行えばいいのではないでしょうか?なぜなら,最初のルートの中身が\(27\times 45\)という,「因数が見やすい」形なのですから.すると,ひっ算をするまでもなく,
\[
\begin{align*}
&27=9\times3\\
&45=5\times9
\end{align*}
\]
すなわち,\[\text{27には9が1人,45にも9が1人いる}\]ことが見えます.結局,\[\text{27}\times\text{45には}\text{9が2人いる}\]ことが分かります.したがって,ルートの外は9となり,5と3がルートの中に居残ることになります.よって答えは,暗算で\[9\sqrt{15}\]とすぐに答えられます.

最初に示した計算方法は,例えるならば,「目的はバラバラにすることなのに,そのバラバラのものを一度寄せ集めて一つにして,またまたバラバラにする」という,いわば二度手間をしているわけです.

・・・以上,このルートの例は単純な例ですが,このように計算する生徒が意外に少なくないように思います.

一般に,計算とは面倒なものです.そのような面倒な計算に出会ったとき,\[\text{面倒}\rightarrow\text{だけど我慢して行う}\]という姿勢は,「努力している」という意味では褒められるべきかも知れませんが,数学的にはあまり実り多き努力とは言えないと個人的に思います.それよりも,\[\text{面倒}\rightarrow\text{それを避ける何かうまい方法はないか}\]と考える癖をつけるのことの方が数学的成長の上で大切だと思います.

塾の場所について

ピアノ教室の看板がありますが以前姉が開いていた教室です(現在は田中前に引っ越しました!).今は数学塾です!

気仙沼市の松崎柳沢にあります.気仙沼バイパス沿いのケーズデンキから松岩中学校方面に向かって行った近くにあります.住宅街なので,ちょっとわかりにくいのですが・・・^^;

松岩地区,面瀬地区,ももちろん,田中前地区からも通いやすいと思います.無料の体験授業を随時受け付けておりますので,ご希望の際はお電話かまたはお問い合わせページからご連絡下さい^^

教室風景です.・・・ホワイトボードの謎の落書きは甥っ子たちが書き残していったものです^^;  ホワイトボードは増設予定!

数学が「得意」?

高校生の声でよく聞くのが「中学では数学が得意だったのに高校では全然できなくなった」という声です.なぜ,このようなことが起きるのでしょうか.ちょっと考えてみたいと思います.

ところで,「数学が得意」「数学ができる」とは,具体的にどういう力を指すのでしょうか.ここで数学の力について考えてみましょう.

「数学とは何か」というのはまさに深遠なテーマで,正直なところ僕ごときに語れる話ではありません.だけど,高校数学・受験数学という立場からは確証的に言えます.僕は以下の二つの力だと思っています.

    1. 演繹的に考える力
    2. 未知のもの,数値,条件を結び付ける力

1.について.「演繹」という言葉は聞きなれない言葉だと思います.「演繹的に考える」とは,簡単に言うと「理由付けしながら考察する」ということです.
これと対の考え方として「帰納」という言葉があります.これは簡単にいうと「具体例から予測する」という考え方です.

例えばこんな例を考えて貰えばわかりやすいと思います.ある学校の次回の数学のテスト内容についてA君とB君が話合っています.その内容は,次のテストで「問題\(\beta\)が出題されるか否か」という話題です.

A君はこう主張しました:
「先輩からもらった過去問10年分によると,10年連続で問題\(\beta\)は出題されている.だから今年も問題\(\beta\)が出るはずだ」

一方,B君はこう主張しました:
「範囲内の問題は全部で問題\(\alpha\)と問題\(\beta\)と問題\(\gamma\)から構成されている.しかし以前先生は「この範囲から問題\(\alpha\)と問題\(\gamma\)は出題しない」と言っていた.ということは,問題\(\beta\)が出題されるはずだ」

結論は両社同じく「問題\(\beta\)が出題される」ですが,その結論に至る過程が異なります.前者が帰納的な考え方で,後者が演繹的な考え方です.

2.について.問題(数値決定問題)は,必ず,求めるべき「未知のもの」,与えられた「数値」,そして「条件」で構成されています.
これらを数式,日本語,絵,表を用いて適切な言い換えを行い状況を正しく把握・理解し,そして整理して結びつける,という作業により問題は解決します(解けます).

さて,中学数学においてこの1.と2.に対応する分野はなんでしょうか.それは「証明問題」「文章問題」です.この分野で得られる力こそが,(とりあえず高校数学的立場から見た)「数学の力」と言っていいでしょう.

しかしながら,この分野は中学数学分野における小さな領域でしかありません.大部分をしめるのは機械的な「計算問題」です.「計算問題」が正確に出来さえすれば,ある程度の高得点が取れてしまう,ということです.ここに,生徒の「誤解」が生まれます.

つまり,冒頭で話した「数学が得意な」中学生とは,実は数学ではなく「計算が」得意なだけであった,ということで,ちょっと厳しめの言い方をすると「自分が数学が得意だと思い込んでいただけで,そもそも数学が得意ではなかった」ということです.このように考えれば「高校で数学ができなくなった,苦手になった」というのは当然の帰結であると言えます.

もちろん,「計算が正確に出来る」というのは数学を学ぶ上で超重要なスキルです.これが出来なければ数学はできない文字通りの基礎力ですし,ここをしっかり押さえた努力は褒めて然るべきです.しかし残念ながら,\[\text{数学ができる人}\Longrightarrow\text{計算が出来る人}\]は言えますが,\[\text{計算が出来る人}\Longrightarrow\text{数学が出来る人}\]は必ずしも言えません.

以上により,中学~高校と,数学の学習を連続的な視点でとらえた場合,中学数学を学ぶ際の「力点の置き方」が重要になることが分かります.こういった姿勢を早い段階で得ておくことが,高校へのスムーズな接続,ひいては将来的な第一志望大学合格へ繋がるものと当塾では考えております.

問題演習

数学の演習問題って,大別すると,

  1. 既知の問題.解くのに必要な知識は揃っており,出題形式が多少違えどほとんど手が止まることのない問題.万が一解けなかったとしても,解答を見れば一目でその内容が理解できる問題.
  2. 未知の問題.解くのに必要な知識は揃っておらず,したがって解法を見つけるのに多くの時間を要する問題.ときに知識自体がないがゆえに解けない問題.解答を見てもその理解に時間を要する問題.

の2種類あると思う.それぞれの特徴をあげると,

(1.の長所)
・既に持っている知識がアウトプットされるため知識が実用レベルで定着する
・解いていて手が止まることがないのでストレスがない
・解けるので気分が高揚する.自己肯定感が湧く

(2.の長所)
・未知の知識が蓄積されることになるので,その知識をモノにできれば,確実に成長したことになる.
・既存の知識の範囲中で解決を図ることは,既存知識の運用法を学ぶことになる(俗にいう「思考力」).またその過程で既存知識の新たな側面を発見することがある.
・解けたら嬉しい

一方で,それぞれの演習における短所を挙げてみると,

(1.の短所)
・出来る(知っている)問題をいくらやっても実質的な成長にはならない
・とりあえず疲れはするので,それだけで満足(自己満足)になりがち

(2.の短所)
・とにかく時間がかかる
・基本的に解けないので,気持ちが萎える
・量がこなせないので,成長しているかどうか微妙

以上を鑑みると,この両者の勉強はバランスよく交えて学習していくことが望ましいと思う.ここで確実に言えるのは,

  • 勉強のし始めは1.レベルの演習から入った方がいい.なぜならとりあえず手が動くから自然と気持ちが前向きになる.
  • 1.のレベルの問題で満足せず,たとえ一問でもいいから,2.レベルの問題も毎日必ず触れる.

とくにひとつ目,「手が動かす」っていうのは精神衛生上非常に重要で,例えば一日の勉強を「悩む」こと(難しい問題)から始めると,気持ちは暗くなるし時間はダラダラ過ぎるしで僕の経験上からみてもあまりいいことがない.手も体の一部である以上,手を動かす=体を動かすということだから,手を動かす勉強から始めることは自然と精神が前向きになるなにかがあるようです.数学に限らず,例えば英語なら,英文や英単語帳を音読したりするのも有効です.

この過程で気分も高揚し,運動後のような一種の心地よい疲労感・達成感に満たされますが,ここで満足してはいけません.調子がついてきたところで,2.レベルの問題にも触り,頭に負荷をかけておいたり,新規知識を獲得したりすることもまた成長のためには不可欠です.

「定義にしたがう」ということ

数学は,論理によって演繹的に記述される学問です.したがって,何かしら判断を下したいときは,以前の取り決め;定義(やその取り決めから得られた他の結論;定理)を思い出し,それらから淡々と判断を下していけばいいだけのことです.この一連の流れを「定義に従って・・・」とよく言われます.

例えるならば,スポーツで判定に迷う際どいプレーがあったとします.その際,下すべき判定は何に依るでしょうか.過去の判例でしょうか.選手や観客の投票でしょうか.その場の雰囲気でしょうか.いいえ,単純に「ルール」でしょう.それと同じです.

この「定義にしたがって判断する」という姿勢は数学を学ぶ上では「当たり前」なのですが,中学生だけでなく高校生もこれを意識している人は少ない気がします.

【例1】
教科書の「集合」において,\[A=B\text{が成り立つことは,} A\subset{B} \text{かつ}B\subset{A}\text{が成り立つことと同じである.}\]と書いてありますが,もしこれを証明せよ,と言われたらどうしますか.ほとんどの高校生は何をすべきか途方に暮れるのではないでしょうか.こんなとき考えるべきことは,\(A=B\)と\(A\subset{B}\)の定義に戻ることです;\(A=B\)は,\[\forall x [x\in{A}\Longleftrightarrow x\in{B}]\]と定義されています.他方,\(A\subset{B}\)と\(B\subset{A}\)はそれぞれ,\[\forall x [x\in{A}\Longrightarrow x\in{B}],~\forall x [x\in{B}\Longrightarrow x\in{A}]\]と定義されています.したがって,\(A\subset{B}\land B\subset{A}\)とは,\[\forall x [x\in{A}\Longrightarrow x\in{B}]\land\forall x [x\in{B}\Longrightarrow x\in{A}]\]ということですから結局\[\forall x [x\in{A}\Longleftrightarrow x\in{B}]\]となって上で示した\(A=B\)の定義と一致します.

【例2】
「マイナス\(\times\)マイナスはプラスになる」ことをどうやって説明(証明)しますか.ここで,中学で習うような「後ろ向いて後ろを向くと前を向くから」とか「否定文の否定は肯定文になるでしょ」とかいった説明は,説明のようで説明になっていない,いわば「誤魔化し」です(現実世界の現象が数学の世界の判断根拠にはならない!).これも,「定義にしたがって」淡々と証明すればいいだけです.まず,\(0\)と負数の定義を確認しましょう.\(0\)は,\[\forall x\in\mathbb{R} [x+a=a+x=a]\]を満たす数\(a\)として定義されました.この\(a\)を\(0\)と書くことにします.次に,この\(0\)に対して,\[\forall x\in\mathbb{R} [x+a=a+x=0]\]を満たす数\(a\)を,\(-x\)と書くと定義されています.つまり\[\forall x\in\mathbb{R}[x+(-x)=(-x)+x=0]\]この定義において,\(x\)は任意ですから,\(-x\)を代入することにします.すると,\[-x+(-(-x))=0\]が得られます.両辺に\(x\)を加えることで\[-(-x)=x\]が得られます.

【例3】
\[\int_a^bf(x)dx=-\int_b^af(x)dx\]はどうやって理解すればいいでしょう.これもやはり,定義にしたがえばいいだけです;まず,(高校教科書における)定積分の定義を思い出しましょう.それは,\[\int_a^bf(x)dx=F(b)-F(a)\]でした.したがって,
\[
\begin{align*}
\text{左辺}&=\int_a^bf(x)dx\\
&=F(b)-F(a)\\
&=-(F(a)-F(b))\\
&=-\int_b^af(x)dx=\text{右辺}
\end{align*}
\]

となってあっさり終わります.ちなみに,定積分は「リーマン和の極限」と定義した方が直観的理解のためにも望ましいと個人的には思います.よくある「定積分は足し算だから云々」という説明は,この定義を意識した説明だと思いますが,しかし定積分を「原始関数の差」と定義した以上,上記のように説明するのが論理的です.

・・・このように,「判断に困ったらとりあえず定義に戻る」という姿勢は数学ではとても大事です.「問題が解ければいい」「点数さえ取れればいい」といった姿勢ではこういった視点はまず身につかないと思います.だけれども,こういった演繹的な考え方を身に付けることこそ数学を学ぶひとつの意義だと思うし,また,ハイレベルな問題を解けるようには,こういった思考を日常的に行うことが一見遠回りのように見えても結果的な近道であるような気がします.

宝くじの期待値

宝くじを買います.人はみなそれぞれ当たる額を予想するでしょう.
「1億円当たってほしい!」「いや欲は言わない,10万円でいいから当たって欲しい」「3億円あたったら何しよう(妄想)」などなど.

このような願望に基づく「人間的な予測値」ではなく,極力客観的な,すなわち「数学的な予測値」を考えてみましょう.それが「期待値」という値です.
\[\text{期待値とは,いくら当たるのかを数学的に予測した値}\]計算式はかんたん.\[\sum \left(\text{(当選金額)}\times\text{(当選確率)}\right)\]

さあ,宝くじの期待値を計算してみましょう.

まず,宝くじの仕組みの確認から.
宝くじ券には,「ユニット」「組」「番号」の3つの情報で構成されています.

ここでは,「ドリームジャンボ宝くじ(第787回全国自治宝くじ)」を例にとって考えてみます.

この回の宝くじでは,

\begin{align*}
\text{組に}&~~1~100\\
\text{番号に}&~~100000~199999
\end{align*}

の番号が振られているそうです.
組が100通り,番号が100000通りですから,\[100\times100,000=10,000,000\]つまり1千万枚の宝くじ券があることになります.この,組と番号の1千万通りの宝くじ券を「1ユニット」と呼びます.この第787回宝くじでは,\[13~\text{ユニット}\]発行するそうですから,結局,\[10,000,000\times13=130,000,000\]すなわち宝くじの発行総枚数は1億3千万枚,ということになります.ひえ~.

次に,各賞の枚数を計算してみましょう.

※ 当選の組と番号は第770回のドリームジャンボ宝くじのを流用しています
※ \(\ast\)\(\ast\)\(\ast\)は1~100までの任意の数です
※ ■は0または1が入ります
※ ●は0~9までの数が入ります

番号 1ユニット
あたりの本数
13ユニット
あたりの本数
合計 当選金額 確率
1等 96 122234 1 13 13 300,000,000 0.0000001
1等
前後賞
96
96
122233
122235
1
1
13
13
26 100,000,000 0.0000002
1等
組違い賞
1~95
97~100
122234 99 1287 1287 100,000 0.0000099
2等 135
29
93
186460
197327
131661
1
1
1
13
13
13
39 10,000,000 0.0000003
3等 ■●3
■●3
■●4
195345
139690
193003
2×10=20
2×10=20
2×10=20
260
260
260
780 1,000,000 0.000006
4等 \(\ast\)\(\ast\)\(\ast\)
\(\ast\)\(\ast\)\(\ast\)
1●9246
1●7311
100×10=1000
100×10=1000
13000
13000
26000 100,000 0.0002
5等 \(\ast\)\(\ast\)\(\ast\) 1●●823 100×10^2=10000 130000 130000 10,000 0.001
6等 \(\ast\)\(\ast\)\(\ast\) 1●●●13 100×10^3=100000 1300000 1300000 3,000 0.01
7等 \(\ast\)\(\ast\)\(\ast\) 1●●●●2 100×10^4=1000000 13000000 13000000 300 0.1

期待値を計算すると,

\[
\begin{align*}
&3000000000\times\frac{13}{130000000}+100000000\times\frac{26}{130000000}+100000\times\frac{1287}{130000000}\\+&10000000\times\frac{39}{130000000}+1000000\times\frac{780}{130000000}+100000\times\frac{26000}{130000000}\\
+&10000\times\frac{130000}{130000000}+3000\times\frac{1300000}{130000000}+300\times\frac{13000000}{130000000}\\
=&150
\end{align*}
\]

ゼロの個数あってるかな(実際はエクセルで計算しました).

・・・150円.つまり数学的には150円当たる,と予測できるわけです.しかし考えてみてください.ドリームジャンボ宝くじは一枚いくらしますか.

・・・300円!!!

うーん.買わない方がいいですね^^;

 

おわり

気仙沼の塾として

塾の役割とはなんでしょうか.

学問レベルって,

・・・→①中学教科書レベル→②高校受験レベル→③高校教科書レベル→④(下位)大学受験レベル→➄(中位)大学受験レベル→⑥(上位)大学受験レベル→➆大学教養レベル→⑧大学専門レベル→・・・

という過程を踏むと思います.塾のあるべき役割とは,やはり②高校受験レベル,④~⑥大学受験レベルに特化することだと思います.さらに,現在「高大接続」への取組みが叫ばれているように(文部科学省「高大接続改革」),➆大学教養レベルを見据えた➄,⑥を指導できるかどうかがこれからは重要になってくるのではないでしょうか.気仙沼の私塾だとちょうどこの➄~➆のステージが手薄になっているような気がします.ここのニーズに答えられるような塾でありたいと思っています.

また,当然ながら上のレベルに特化している塾であれば,その下のレベルの指導内容は必然的に万全なものとなります.例えば中学生なら,高校数学教師に高校数学を見据えた数学を教わることはとても大きなアドバンテージになるはずです.

このように考えれば,塾という存在は生徒を指導するだけでなく,教える側自身が常に学問的にレベルアップを図っていかねばならないと改めて思います.